うじゃ

野草図鑑

私は小さい頃から、園芸種より、そこら辺の道に生えている小さな草花が好きだった。しかし、あまりにも普通にある雑草のため、周りの大人にも詳しい人がおらず、名前がわからないものがたくさんあった。(ちなみに我が家が詳しいのは葬式と法事の作法だけである)10年ほど前に中古本セールで野草の良い図鑑を見つけ、購入しておいたが、当時は都会に住んでいたうえ、仕事がてんこ盛りだったので、あまり使う機会がなかった。

田舎に帰ったものの、野草への興味は薄くなってきた。かさばるので、古本屋に売ろうと考えていたところ、家人が散歩ついでにいろいろな野草を報告してくれるので、「これで調べなさい」と言って、図鑑を渡した。すると、たちどころに20種くらいの変わった野草を見つけてきて、「これも気になっていた。これも気になっていた。」と仰り、押し花にしてされていた。そうそう、私も、それ気になっていたべな、という感じで、いろいろと盛り上がった。家人のおかげで、寸でのところで、売り建てを免れた図鑑も、活用されてほっとしていることだろう。

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家人が、私の持っている

某有名少女漫画の絵を見て

「この人物の顎は固いものを食べていないタイプだ。」

と仰るので

「これは、少女漫画だし、
エラが張っている美少年なんて、
若い女性読者が好んで読むだろうか。」

と説明してみたが、伝わらない。
(私は若い女性ではないが)

そりゃ、美少年とは真反対の人と
毎日暮らしていれば、そう思うよな。
時々読むなら癒されるが、
毎日一緒に暮らす人間の立場になってみよう。

先日も、家人が

「眼鏡屋に行ってきた。かっこいいじゃろ。」

というので、見せてもらったが、
どう見てもその筋の人にしか
見えないチョイスだったので
身震いがし、徹底否定したところ、
やめたようだ。

また、嬉しいことに毒蝮のような
デザインの服を着ているのだ。

わが家人ながら、あっぱれだ。

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クロタンが私の部屋に居座るようになってしまった。

私は構わないが、ご立腹なのはシマジロウである。
せっかく、私の膝を独占しているところに、悪気もなくクロタンが近寄ってくる。

もしかして、クロタンはシマジロウのことをメスだと勘違いしているのではないだろうか。やたらに近づいては、シマジロウに追い返されている。

しかし、居心地の良いところはよくわかるらしく、私の布団の上で、二猫背中合わせで寝ていたりする。別に、寝るのは構わないのだが、この二人はいつ喧嘩するかわからないので、どうjかすると寝ているときに爪で私の目をつぶされる危険性がある。どうして私がそんな危険を犯しながら眠りにつかなければならないのか。すべては、家人のせいである。家人は、家族の反対を全く無視して、他人に世話を押し付けているだけでなく、無理やり自分になつかせようとして、無茶をするので、猫が私の部屋に避難してくるのである。

仕方がないので、クロタンとピンポン玉で遊んでいると、これも家人が邪魔をしにくる。家人は邪魔をしているつもりはないのだろうが、家人が覗きに来ると、クロタンの目は凍り付いたようになり、さっと逃げて行ってしまうことが、どう思われているかをよく現わしている。

猫たちは私のところに逃げればよいが、私はどこに逃げればよいのだ。戦って怒られるのは私だ。

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今日は、憂鬱で遅くまで

なにをする気もなく、ゴロゴロしていたところ、ばあちゃん登場。

地元の超詳しい情報満載(地元を離れていた私には、ほとんど意味が伝わらないディープな内容)。これが義母と同じ年代かと思うと、とにかく感心する。もし、取り換えることが可能なら、ばあちゃんを介護させていただきたいと切に思う。若造の私どもが尋ねに行かなければならないものを、自ら歩いて手土産を持って登場。

違うなあ・・・。やっぱすごいよなあ・・。

新参者クロタン(何代目だろう。露猫家24代目くらい?)も、ばあちゃんが気に入ったようで、ずっとうろついていた。

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準備の前準備

ふぶきさんは、趣味の多い人だったので、見ていると面白かったのだが、そんなところから始めなくても良いだろう、というとうな底辺のところから、徹底的にケチな人であった。ちょっと良い材料を買えば、苦労をしなくても作業が始められるのに、そもそもその作業が始まる前の段階を楽しんでいるところがあって、それも趣味が多岐にわたるので、一つも完成しない。

たとえば、薬のアルミ箔を全部はがし、丸めて集め、それを高温で溶かして、アルミ二ウムの塊を作る。そうして、その塊を旋盤で削って、何かの部品を作る、ということだったが、人生予測のできない人だったので、「丸めて集める」ところまでしか行っていない。

また、電子機器の古いものを分解しては、基盤を集め、基盤についている部品を端から端まで、はがしまくり、分解することもしていた。ケーブルの差し込み口などは、金メッキされたピンを一つ一つ抜き、2ミリ程度の粒状チップをはがして分類したりしていた。後者の場合は、熱が早く逃げるので、一人ではんだごてを二本持つと、部品を取る人が必要になる。どう考えても無駄な作業だが、大変苦労しているようなので、ふぶきさんがはんだを温めている間に、仕方なく私が部品をピンセットでつまんではがしたりしていた。

こういうのは、私ども夫婦には楽しいが、ほとんどの人にはわかってもらえない趣味だと思う。しかも、何も完成ししなかったし・・・。ただ、こういう品々は、思い出があるので、いまのところ保存している。

私自身は彼に作品を作ってほしかったのだが、ふぶきさんは未完成のものを作ることに関しては非常に長けていた、という感じがする。時間的に余裕がなかったこともあるだろうが、関心が次々に移ってしまって、準備が整い始めたころには、もう関心が他に移っている。買った本や雑誌だって最後まで読んでいるものは少ない(特に物語系)。「本は辞書のように、必要な時だけ見る」と聞いたことがある。

私の場合は、シナプスの一部がこんがらがっているので、一度シナプスが複雑骨折状態になると、なかなか元に戻らない。普通に見えるように書いたりしゃべったりするだけで、相当の技術を使ってコントロールしているのである。これが普通にできる人から見たら、それを必死でやっている私の苦労など想像もつかないと思う。

という訳で、特に知識も能力もない私のようなものは、人間が作る美しさという感覚は、なかなかわからないので、ひたすら眠って体力が戻るのを待っている。時々わかることもあるが。

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死についての話は

ほとんどの人にとって、「考えたくないこと」であるため、なかなか議論は進まない。私は、自分などは死んだ方がましだと思う方だが、ほとんどの人は、他人を蹴飛ばしても自分だけは生きたいと願っているだろう。

コンクリートの話で言えば、ヨーロッパのコンクリートは海水を混ぜれば、時間の経過とともに繊維状の鉱物が生成されて固くなり、わが国のコンクリートでは、海水を混ぜたことで、中の金属が腐食して脆くなる差が生まれている、という研究が面白かった。

もし、ヨーロッパに行くことができるとしたら、安楽死の書面をそろえている頃だろうが、まだいろいろな準備ができる状態ではない。もし、行くことができたら、家など帰ってこなくてもよくなっているだろう。

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別に、私が気にすることでもないのだが、

小さいお子さんが私の漫画の読者になる場合、
当初は本人からメールが来るのだが、
次第に母親が代わりになり、
本人の状況が全く分からないな、
と思っていると、深刻な状況に陥っていることが多い。

特に、メールの中で父親の影が
全く出てこないことが気になる。
もちろん仕事などでお忙しいのだろう。

私自身も経験しているけれども
母親というのは、働くだけでなく
もう少しいろいろなことを勉強しないと
いけないのではないかと思う。

でないと、自分は家族に
尽くしてきたと思っていても
捜査しているのは母親自身である。
本当にそんなに勉強する余裕がないだろうか?

私の場合は、家族の中で
私自身が邪魔な存在で
あることはわかっているので
安楽死法が成立しやすい
社会になってくれないかな、
とそればかり考えている。

私の意思で生まれたわけでもないのに
どうして私が死ななければ
ならないのかという疑問はあるが、
どうにもならないことっていうのは
現実にあるんだよね。
それに、私、もう十分がんばってきたし。

誰がなんと言おうと、
それだけは私自身がよく知っている。

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私の場合、家にいるだけで、

簡単にストレスが上限に達してしまううえ、外に出ると、よりシビアな環境にさらされるので、農道を歩くだけにしている。

仕方がないので、暇つぶしに猫トイレの掃除(2匹いると大変なのだ)とクロタンのボール遊びを始めたところ、クロタンにすっかり気に入られてしまい(目が真ん丸で無表情に見えるので、そう感じたことはなかったのだが)、シマジロウ、クロタン、露猫の3匹が一つの布団で寝ている。どうしてこういうことになるかというと、露猫は風邪をひきやすいので、早めに厚手の毛布(昔飼っていた、トムという洋猫の手触りが感じられるもの)を出してきたため、その心地よさにつられて、3匹が集まってきたのである。

また、うつ伏せで寝転んでいる露猫(カメ)の上に、シマジロウが蹲る、という「親亀の上に子亀を乗せて」バージョンもある。布団がなくても背中が暖かくて気持ちが良いのだが、あまり長時間にならないように気を付けないと、猫の重みで腰を痛める危険性がある。私は猫とのスキンシップも決死の覚悟でやっているのである。ちなみに腰痛になったらいつでも直せるよう、、腰痛ベルトを脇に準備している。うつ伏せで本を読むのは、起き上がる元気もない状態の現れである。

クロタンは、ピンポン玉で、毬つきをしたり、私が投げたボールをブロックする技も身に着けた。バトミントンのように、掌でボールを返球する技も覚えたので、私が彼のストライクゾーン内角内側スレスレのボールを投げなければ遠くに行ってくれなくなった。学生を教えるのと同じように、猫だってだんだん気楽に遊べなくなってくるのだ。

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家人は、友達と遊ぶために

ケータイを持っているが、以前湾に大きな旅客船がやってきて、それを見るツアーに喜んで参加したところ、一人はインスタントカメラで遠くから船を撮っていたら、肝心のところでフィルムがつきてしまったという。

もう一人はケータイのシャッターをバシャバシャ押したが、撮れていなかったという。

インスタントカメラの方の計画性のなさは、とりあえず置いておいて、ケータイの話をよくよく聞いてみると、記憶媒体の存在も知らないことが判明。そりゃ保存されていないわ。やむなく購入してプレゼントするも、あまり使えてない様子である。どれくらい露猫家が、写真に縁がないかお分かりいただけるエピソードだと思う。私がデジカメを購入する前は、バカチョンカメラしかなかった。

今日は、家人が切り紙の図柄を大きく印刷してほしい、というので、プリンタで拡大印刷。

もう一人には、「釣りに行くのでデジカメが欲しい」と言われ、安価でコンパクトデジカメを譲るが、置き忘れて行った。

どちらも、もう歳なので、デジタル機器の使い方を、丁寧に教えるだけの気力がない(私の側に)。家人は某ドラマを見て、メールが送れない主人公を笑っていたが、私から見させて頂くと、笑っている場合ではないだろうと思う。しかし、このあたりにいてくれる方が、私にとっては気楽である。

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最近は、自分の服より、

ふぶきさんの服を着て歩いている。私の服は破れたりしてボロボロなのだが、ふぶきさんのは新しくて履き心地が良い。したがって、男っぽい印象を与えるかもしれないが、別に私の好みで着ている訳ではない。ただ、貧乏なだけである。

遺品整理はまだ続いているが、2つあったハードディスクのうちのひとつのデータを消そうと思っても、限界まで酷使されているため、フリーズしてしまって消すことすらできない。仕方がないので、パソコン屋に行って、フォーマット後、処分してもらうことにする。ディスクが痛んでいるから、とのこと。

ふぶきさんの持ち物は特殊なので、一気に売り払うこともできず、そもそも売れるようなものもなく、非常に手間がかかる。仕方なく法人に寄付したものとか、リサイクルに出したものも沢山ある。だが、そういうものはともかくとして、中途半端に困るのは、コンテナとタッパー類である。大きさや形の違うタッパーがいっぱいある。使えばよいではないかと思うかもしれないが、必要以上の場所を取る、中身の入っていないタッパーなど、はっきり言って邪魔だ。寄付するとしても、送料の方が高くなるし。どこかに持ち込むといっても、最近は新品でないと受け取らないからなあ。昔は結構高かったのに・・・。

組み立て式のスチール棚も2個あるのだけど、分解して持ってきたから、重くて組み立てることもできない。リサイクル屋に行っても、最近はこういうものは受け取らないようである。

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